To: Subject: [janl.378] 【JANL メールマガジン 2001/10/1 】 Date: Mon, 1 Oct 2001 00:05:11 +0900 JANLメールマガジン ================================== 2001/10/01 配信解除希望はこちらへ  janl-staff@cs.kutc.kansai-u.ac.jp -------------------------------------------------------------------- □ 目次 [JANLスクランブル] ● IT革命とe−倫理   (江澤義典・関西大学/日本情報倫理協会会長) [JANL役員から] ● 情報倫理の好著 "A Gift of Fire" の著者にお会いして(後編)   (田中規久雄・大阪大学大学院) [JANLの動き] ● 教育システム情報学会全国大会における「情報倫理」のセッション   (工藤英男・奈良工業高等専門学校) ==================================================================== [JANLスクランブル] ● IT革命とe−倫理 関西大学の江澤義典です. 政府のIT政策では「e-Japan戦略」に基づいて「e-2002プログラム」が検討 されており,教育分野では「e−ラーニング」の先進性が話題になっていま す.また,電子商取引が進みつつあるビジネス分野では「e−コマース」に 関わる様々な問題点が指摘されています.このようなIT革命に適応したスロ ーガンに倣って情報倫理においても「e−倫理」の検討が必要でしょう. もちろん,このe−○○○のeはelectronic(電子的)の意味です.IT革命 の歴史を振り返って電気電子技術が登場したのは約100年前だと分かりますが, その間に情報倫理が「e-倫理」にまで発展した過程には興味深いものがあり ます. 第0次の革命(革命以前のITとして有効であったもの)は「言葉(音声言語) の発明」でした.音声言語を使うことで多様な表現が可能になった為に個々 人の経験が様々な言葉で伝達され,色々な集団社会における情報共有が可能 になったと思われます.そして,『嘘をついてはイケナイ』という第0次の 倫理基準が構築されたのです. 第1次のIT革命は「文字の発明」でした.音声言語による伝承に比べて文字 による記録の時間不変性は画期的であったと思われます.そして,『虚偽の 記録をしてはイケナイ』という第1次倫理基準が構築されました. 第2次のIT革命は「印刷術の発明」で,データ記録の確実性は印刷物である 「本」や「雑誌」さらには「新聞」などの印刷メディア産業の起源になっ たと思われます.その結果,文化の発展に寄与するためには「著作権」を守 るべきであり,『無断でコピーをしてはイケナイ』という第2次倫理基準が 求められています. 第3次のIT革命は「電気通信技術の発明」であり,19世紀の中頃です.ラジオ やテレビなどの情報メディア産業がうまれました.そして,第3次の情報倫理 としてメディア倫理が構築され,『恣意的な情報操作をしてはイケナイ』と いう倫理が構築されました. 現代のコンピュータを応用したインターネット時代は第4次のIT革命が進行 している途中です.そして,第4次の情報倫理は『e-倫理』と呼ばれるわけ です.e-倫理を考えるとき,その要因として電子の速さも重要ですが,デジ タルコンピュータによる超精密自動制御技術こそが鍵になると思います. このようにIT革命が生起する毎にそれまでの倫理を補う形で新しい情報倫理 が構築されてきている点に気づきます.つまり,インターネットにおいても 第0次から第3次までの情報倫理が求められるのは当然なのですが,それに 加えて第4次の『e-倫理』が必要になるのです. -------------------------------------------------------------------- [JANL役員から] ● 情報倫理の好著 "A Gift of Fire" の著者にお会いして(後編)   (田中規久雄・大阪大学大学院) Sara先生の御自宅はサンディエゴ西の丘陵の住宅地帯にあり、海の見える 瀟洒な(もちろん周囲の家屋と同様、若干スペイン風の)建物であった。巻頭 ページに書かれている御夫君のKeith氏(彼の目は大変美しかった。「碧」と いう漢字がこれほど当てはまる眼をみたことがない)が自慢するメロンを食 べながら午後のひと時を過ごした。このメロンがなぜ自慢の種になったかと いうと、これがなんと1個25セントだったからである。Keith氏には少し関西 系の血が流れているのかもしれない。 インタビューの最初の方で、「日本では米国ほどMP3が問題になっていない ようだが、何故か?」と聞かれたので、「日本人は危なそうなことはこっそ りやるからではないか」と答えたら、妙な顔をしておられた。たしかに、米 国は悪いと確定していないことはしてもいい、という文化である。「明示的 に禁じられていないことは国民の自由である」というのは米国憲法の基本的 精神で、ある連邦最高裁判事(確かフランクファーターだったと思うが)は、 そうした自由が米国の活力の源なのだと述べていた記憶がある。 名誉教授になられて少し時間的余裕がでてこられたからかもしれないが、 現在、新版を執筆中だそうである。私が、情報倫理の入門書を共同執筆*6し た際に、「個人情報とプライバシー」の項を担当したことを話したせいかも しれないが、新著の相当部分では、「監視社会(Surveillance Society)」*7 のことを重視するということを強調された。米英などのエシュロンやFBIの カーニボー、イギリスのCCTVイニシアティブなどの話で盛り上がった。 メールのプライバシーに関しては、日本ではどう捉えられているのかとお 聞きになるので、日本でも、インターネットが『通信(Communication)』か 『放送(Broadcasting)』か、どちらの性質に近いかで、憲法による保護に違 いがある、つまり、通信なら「通信の秘密」(日本国憲法21条2項)、放送な ら「表現の自由」(日本国憲法21条1項)により保護されるのではあるが、保護 の根拠・範囲・程度に違いが出てくることを説明した。米国憲法には明示的 に「通信の秘密」が規定されていないので、この格差は結構大きいことを話 していて感じた。 法律の整備については意見が一致したものと思う。米国でも技術が先行し て、法が追いついていないという人が多いそうであるが、Sara先生の意見は まず技術が努力すべきだという趣旨であったと思う。日本でも立法の不備を 説く人は多いが、よく聞いてみると、技術が先行して現行法がカバーできな い領域をつくるというよりは、経済効果を求めるあまり拙速な技術を採用し て、その技術の穴を法に押し付けているというのが本当のところではないか と思われる節もある。法が技術に追いついていないという場面も確かにある が、科学技術のツケを法や倫理に回しているという部分もあるのではないだ ろうか。そうだとしたら、それは文字通り本末転倒、科学技術の倫理問題で あろう。(こうした「情報倫理を説く側の倫理」を問うのがメタ倫理として の「情報倫理学」の一つの仕事である*8。) それと、不正アクセスなど(たぶん刑事罰の対象とする行為に拡張しても よかろう)に関しては、子どもはいろんなことをするのが本性だから、大人 と同じに扱ってはいけないというご意見が印象に残った。こうした点のみな らず、Sara先生は、教科内容を教えることしか見えていない教育者や、自己 の専門分野のサブセットとしてしか教科教育を考えられない、つまり教科を 親学問の植民地ぐらいにしか思っていない専門研究者ではないという感じが した。そういえばKeith氏も、「サラは学生の教育に熱心すぎるほどだ」と 笑っておられた。 情報教育に関わっていえば、これは私自身の意見だが、学校教育全体の 視点から見れば、子ども・青年のために情報教育があるのに、まるで情報 科学技術のために子ども・青年がいるかのごとき議論に限って、声が大き いように思う。学校教育全体からいえば何でもいいから生き生きと学べる ものがあることが必要なのであって、それが数学だろうと社会だろうと情 報だろうとなんでもいい。教科・科目は所詮は学習の喜びを生徒に発見さ せるための様々な選択肢の一つに過ぎない。つまり教科は人間の発達を促 進するという教育のための(中期的な)使い捨てツール(教育の手段)なのだ という抑制された認識が重要なのではないだろうか。 法がらみの問題に話を戻す。Sara先生にも法に対する若干の誤解があっ た。法律家が技術のことをわかって判断しているかどうか疑問だという旨 をおっしゃられたので、裁判官にしろ弁護士にしろ、事実を知るというレ ベルでは科学的知識を無視できないが、最終的判断はそこから一意に出て くるわけではなく、社会的な公正(fairness)の観点をはじめ、様々な要因 を考慮して結論するのだということを説明した。先に述べた立法化の声も、 古代ギリシャのソフィスト、トラシュコマスがいったように「権利とは強 者の利益である」ことに陥りやすい。ある特定の社会的立場にあるものに 立法で権利を付与することには細心の注意を払うべきであって、「法は法 なきを期す」という法諺が示すように、法律などは、なしですむのが理想 なのである。その点では、立法は社会病理だということもできよう。その 中で裁判は、科学技術の真理が何であれ、強者の利益を保障する法律の下 にあっても、本当に救済すべき人を救済する最後の砦として期待されてい る。わが国の現状をみても、権利主張とその立法化は多くの場合、それが 認められることによって利益を得られる特定の社会集団・社会階層によっ て主張されているのではないだろうか(たとえば中古ソフトの著作権主張)。 そして声なき衆生には常にコストがかけられ、レ・ミゼラブルの主人公の 悲劇は現在も繰り広げられているのだ、というのはあまりにも悲観的なも のの見方であろうか。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ [注] *6 情報教育学研究会編『インターネットの光と影』北大路書房  ( http://www.psn.or.jp/~iec-ken/rinri/index.html)。 *7 この問題は情報社会学がつとに問題視してきたテーマである  ( http://www.law.osaka-u.ac.jp/~kikuo/article/20000705.html)。 *8 越智・土屋・水谷編『情報倫理学』ナカニシヤ出版、参照。 -------------------------------------------------------------------- [JANLの動き] ● 教育システム情報学会全国大会における「情報倫理」のセッション   (工藤英男・奈良工業高等専門学校) 第26回全国大会が吹田市の大阪大学のコンベンションセンターで行われ ました.「情報倫理」のセッションが開催され,7件の発表がありまし た.また,前日には,情報教育学研究会(IEC)の情報教育フォーラ ムが開催され,テーマは「技術・法・倫理による総合的セキュリティ」 でした.講演会では,弁護士の岡村久道先生が「情報倫理と情報教育― 情報法学の視点から―」のテーマで興味深いお話をされました。講演の 模様は, http://www.psn.or.jp/~iec-ken/ で見ることが出来ます. -------------------------------------------------------------------- [編集後記] 読者の皆さまからのご指摘や投稿をお待ちしています.新しい記事の投稿や 今回の記事に対する批判・コメントなど大歓迎です.(義) ==================================================================== [JANLメールマガジン] バックナンバーの閲覧は、以下のホームページからご自身でお願いします。 http://www.janl.net/magazine/ 編集:JANL 運営委員会 発行:日本情報倫理協会事務局 (〒569-1095 高槻市霊仙寺町2−1−1関西大学総合情報学部江澤研究室内) 情報倫理に関するご意見や転載を希望する場合はJANL事務局にご連絡下さい。 MM配信解除の希望もこちらへ  janl-staff@cs.kutc.kansai-u.ac.jp